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アイデンティティを模索している

自分の知識を整理して発展させられたらいいなぁという願望の元スタート。学ぶことで私のアイデンティティは確立されるのか。くだらないこともうだうだと。

「ラ・ラ・ランド」「破門」「ドクター・ストレンジ」「恋妻家宮本」感想 を理由にしている。

もう少しで私の実家過ごしが終わる…明後日八時半の便で飛び立つため、五時半が予想される。そしてその三日後にレジュメを提出しなければならない。何が言いたいかというと、それらが全く終わっていない。

何度も後回しにして、後悔して、それでも繰り返すことを見ると、懲りていない。重要視していない。徹夜を別に厭っているわけではない、などなどという理由が上がってくる。つまり、また何もやっていない、後回しする自分に自己嫌悪を抱くのは飽きた、というか、自己嫌悪する暇があるなら、刹那的に行こうかという吹っ切れでもある。

 

しかし大学生になると、独り暮らしをして、パソコン三昧になるかなぁと思ったが、そうでもない。なぜなら大学生はレポート乱文三昧だから、パソコンを開くことが苦手な行為という認識に変化し、パソコンを立ち上げることすらしなくなる。それに代わって、手軽で便利で立ち上げに時間のかからず、指一本で好きなことをできるスマホの便利なこと。スマホ依存症ともいえる。

話が変わるが、『居場所の社会学』という本では、携帯電話で時間をつぶすことで、居心地の悪い空間から他者を排除し、スティグマ化になる度合いが減るそうだ。一人暮らしをして寂しさについついスマホに手が伸びてしまうのはそういう事。別に正当化しているわけではない。

 

ここまででわかるように私は、エンジンがかかるのが遅い。スイッチの切り替わるのが遅い。とにかく遅い。遅すぎる。

つまりレジュメを切るために充電し、ようやく立ち上げたパソコンを前にしてもまだやる気が起きない。いや、指が動いてくれないので、最近見た映画の感想をまとめて、準備体操をすることが、今回の目的である。

母には容量は悪いが、一つ一つ丁寧にやるタイプといわれる私。つまり準備体操でもいつの間にかエンジンがかかり、丁寧に、否、レジュメよりもやる気を出して書き上げるだろう、おそらく。

 

「ラ・ラ・ランド」は私の高校の時の恩師と見に行きました。

恋愛ものだと思っていたが、まさかの悲恋物に驚き。ミュージカルを映画館で見るのは初めてのことだったので、とても圧倒されました。登場人物のドレスがカラフルで、見てて楽しいし、私はダンスを見るのは結構大好きなのかも。フラッシュボブとかyoutubeで見るの好きだもの。

最近何でも漫画家実写化映画化されている。主に少女漫画。勉学より間の恋だの叫んでいるから、生身の人間がやるとさらに見るに堪えないというのが私の本音である。そんな中、この作品は自分の夢と愛を天秤にかけ、夢を両者勝ち取った。夢を勝ち取ったからこそ、二人でいたら…なんて愛に目を向ける猶予を持つけれど、「今」で得たパートナーが一番理解があるんでしょうね。「過去」から経験を得て、「今」があるから、これからを考えていけるんだろうと思いました。

ifなんて価値がない、よく聞くけれど、本当の意味を理解しなくちゃいけませんよね。

 

「破門 ふたりのヤクビョーガミ」

この作品は結構期待していたんだけど、そんなに面白くなかったかな。以前「やくざと憲法」というドキュメンタリーを見たんだけど、やくざ内の力関係というのは私たちには理解が少し大変かもしれない。仁義という言葉はいまどれくらいの人が重みをもって言えるだろうか?やくざはいま現代社会でとても生きにくくなっている。多様化してきた社会の中で、異物を排除する傾向はあるが、彼らは昔からこの日本にいた。古き良き時代は終え、害悪という形で人々の目に映るようになったその過程が物悲しい。

この作品はやくざと一般の仲介みたいな役をする横山さん主演…名前忘れたけど、堅気とやくざをうろうろするのよね。その空気に触れていると、自分もその一員かの如く口を出してしまうことがよくある。けれど、明確な覚悟や想いがないからこそ、踏み込める場所を見極めなければいけないと改めて思ったかな。

主人公の彼は、臆病で、無気力で、金にがめつくて、貧乏でやる気なし。最後は彼が自分の意志でやくざに近づくところが見どころなのかな。

 

ドクター・ストレンジ」は、主演の…俳優の名前を私はめったに覚えていないのですが、「シャーロック」を主演した人だということはわかった。

腕がいい医者が、その腕を失い、魔法の世界へ飛び込んでいく…みたいなね。ストーリーは、ううううううううん。雑?かな。現代社会に魔法ぶち込んできたなぁとは思った。一番目を引かれたのはCGだね。魔方陣かっこいい。幾何学模様を組み合わせたあの美しさを文章にできたらどんなにいいか。

趣味でファンタジック系を書いているけれど、なんだかはかどらない。読み返しても、なんだか痛々しい。大学で現代社会系にたくさん触れたからか、ファンタジックな趣味が少し変わってきたのかな、と思います。完成はさせたいけどね…

 

今回最も押すのが、「恋妻家宮本」

でき婚で結婚した50歳夫婦。その息子が一人立ちし、初めて二人っきりになった夫婦生活。主人公は国語の中学教師。教師を目指す私には、すこし感動したところがありました。

母親が不倫をした子供。クラスではお調子者として存在しているけれど、「お調子者」という「キャラ付け」が存在しており、若者論を反映させているなぁと思った。熱血教師の影は薄らぎ、また一匹狼のような生徒もだんだん現代日本からは少なくなってきました。それは世代間のギャップが少なくなり、子供と大人の認識、理解のギャップがあまりなくなったということ。子どもは大人に対して反抗心を覚えなくなった。

親子の距離は近づき、子どもは親と友達感覚のように接する過程が増えているらしい。タテの関係は薄らぎ、ヨコの関係となっていた。それは教師も同じで、威圧、威厳のある教師はいなくなり、友好的な教師が増えてきた。優しくて寄り添ってくれるような教師。私もそんな教師になりたいな…と思っていたけど、教師、大人という存在意義を考えたとき、それはどうも、違うのかもしれないと思うようになりました。

 

現代日本で生き、働く人たちに読んでほしい本・土井隆義の「つながりを煽られる子どもたち」

 

自己肯定、承認欲求。それらを私たちは求めている。帰属意識が薄らいで、不安定な社会に生きているから。そんな承認を私たちはSNSで満たそうと躍起になっている。

教師も親も、子どもにとって、子どものすべての承認を満たしてくれるような絶対的な存在ではなくなった。…のようなことを書かれていて、私は衝撃を受けました。プロフェッショナルよりも、大衆、数の力が信頼される時代。民主主義と言えばそうかもしれないけど、専門家が信じられないって…

それもそのはず。友人のすべてを信頼できますか。同じくらいの友人の発言をすべて受け入れますか。子どもの発言を鵜呑みにする大人がいますか。

だけど今は大人と子供の距離、境界線が曖昧だ。長引くモラトリアム期の影響もあるかもしれないけれど。

ある意味対等な関係になった人たちに承認、自己肯定されること。

威厳のある人に、自分が信頼して、尊敬する人に承認、自己肯定されること。

圧倒的に後者の方が自分にとって、子どもにとって満たされるはず。しかし近年後者のような人間を探すのも困難だし、子どもにとって一番身近な人間がヨコの関係へと変わってきているのだ。

増加し続ける教師の仕事は、ここらへん…つまり親子関係、親が本来取り仕切る分野を学校に丸投げしているところがあるのかもしれない。仕事が増える教師は一人一人の生徒を見ることは難しい。家族の中に足を踏み入れるようなところでもある。そんなことやってらんないよ、難しいよ。

私は…信頼される教師になりたい。確かに生徒に慕われるのはうれしいけど、それよりも子供の成長を助けられる、威厳のある、承認を十分に与えられる教師になりたい、とおもう。

 

教育的分野で話を発展させすぎたけど、現代社会で生きるのは夫婦も同じ。大人同士だって承認求めている。お互いと向き合う時間、本音をさらけ出すのがどうして恥ずかしいのか、それでも必要な時間なんだといえる空気が大切、かな。

 

長くなったが、ここまで!

私が今年からやるのは若者論や福祉分野。ジェンダーももちろんやりたかったけど、ジェンダーの新しい認識はやっぱり子供からだし、やって損はない。

土井さんの本をもとにレジュメのベースを作り、新自由主義などの細かなところを埋めていこう。

 

 

「沈黙ーサイレンスー」感想

今日は映画を二本見てきた。

一つ目は「ミス ペレグリンと奇妙な子どもたち」

うん、普通に面白かった。子どもたちがワンピースの能力者のように見えた。時間の移動が1943年なのか、2016年なのかよくわからなくなったが、取り合えず面白かった、といえるだろう。

 

二つ目は「沈黙ーサイエンスー

本日の主役となるものだが、ここから考えられることはたくさんある。私の経験に重ねて感想を言えるほどここまで過酷な経験をしていないので多くは言えない。しかしこれからこれらを気にして生きていくことはできるだろう。ここまで滑降した人たちがいることは変わらない。私の考え、言葉一つで彼らの言葉を、気持ちを、信仰を否定することも影響を及ぼすこともできないんだろうと思うと、自分の無力さがよくわかる。この歯がゆさはすべてここに吐き出されることになるわけだが。

 

日本にキリスト教は根付くのか…とか考える以前に、宗教の意義とは何だろう。生きるための拠り所、安心を与えてくれるもの、人それぞれだ。映画の中では宗教を貫き死んでいった人が多く描かれていた。なぜ宗教のために死ぬのだろうか。すべて生きているからこそ価値があるものである。健康のためなら死んでもいいって言っているものでしょう?

死んだらパラダイス(天国)に行ける、働かなくていいし、年貢もない。苦役もない。映画の中で神父はそう言っていた。これらがないことが幸せなのか。苦役を体験するから幸せがわかるんじゃないのか。すべてから解放され、しがらみがない身軽さが幸せなのか。苦役といえるほどの体験をしていないから断言できないけど、ずっと昔から私たちには労働がついて回るし、税金があるから国があり、帰属意識が生まれ、戦が勃発するのだろう。すべてから解放される価値があるのか、なんて思ってしまう私。

 

後期の授業で仏教論をとっていた。西洋人にとって仏というのは道徳を説く人間であり、創造主ではない、と述べていた。映画でもそのように描かれていた。創造主、絶対神唯一神。これらを盲目的に崇拝するのは恐ろしい。異物を排除する。ほかの声に耳を傾けられなくなってしまう。布教活動をする理由は、彼らがこの宗教によって救われる存在だという意識があるからだろうか。それは潜在的に私たちは落ちこぼれという意識があるのだろうか。宗教の意識、考え方、あり方は長い年月を経て、変容し、世俗化してきた。偶像崇拝をもともと禁じていたキリスト教仏教。いまは仏像やら十字架やらがそこらじゅうに散らばっていることを再認識させられる。

キンジローという男が何度も主人公の周りで許しを乞うた。彼は何度も踏み絵をし、唾を吐きかけ、生きながらえた。そしてそのたび許しを請うのだ。キンジローは生きることに執着していた。しかし宗教を、自己を曲げて生きながらえることを私たちは心の中で批判的にみていしまうのではないだろうか。最後まで宗教を捨てずに、拷問され、つるされ、火あぶりにされ、溺死した教徒を、なんて心の強う人だろうと思ってしまっているのではないだろうか。決して悪いことではないけれど、私はおろかに思えてしまった。神の分身たる板を、十字架を踏むことという行為が、あなたのすべてを、宗教を否定するのですか。ただの徴を踏むことはそんなに、つらいのですか。人生をかける価値がありますか。キンジローは生きるということを理解していたと思う。生きるから後悔するんだ。自分がしでかしたこと、弱い自分を。要領よく生きることはいけませんか。自分を曲げることは確かにつらい。でも身体もいたい。心と体はどうしても別々なんだよ。

 

日本は八百万の神神仏習合仏教神道、寺、神社、入り乱れた国なのに、キリスト教はそこまで根付いていない。ハロウィンもクリスマスもあるけれど、形式だけ。

コマーシャルを見ていると、日本人と外国人、外国人のモデルなどなどたくさん登場していると思う。明治維新から現在にかけて、日本人は外国人に対して大きなコンプレックを抱いている。憧れと。けれど宗教に強く焦がれる人はあまり身の回りにいない。

役人はキリスト教徒に踏み絵を強要する際、ただの形式だと何度も言った。彼のその発言は、自分の今までもただの建前だけで生活や思いを否定される。それは強要されたものだけれど、自分自身によって否定される。だからつらいのかもしれない。

 

宗教に身を投じても、結局行動するもの、決めるのも自分自身。主人公もそうだった。彼が祈っても返ってくるのは沈黙。日常的に神に祈り、神は助けてくれないじゃ泣きかと絶望する人は今までたくさんいたのではないだろうか。宗教の価値は救いじゃない。普遍性でもないように私は思えた。普遍的で絶対的で揺るがないからこそ身を、心をゆだねることはできるけれど、真の価値はそこではないように思えてならない。主人公とともに悩み、苦しんでいる。だから踏めと神は言った。苦しんでいる人を救いたいのは自分である。救いは誰のためなのか。

 

土地が変われば、根は張らず、実らず、茂らず、咲かない。変化を求めることか、それとも郷に入って郷に従うべきか。時と場合に寄りすぎる。だから曖昧で儚いのだ。

キリスト教のものの検閲に主人公は最後協力をしていたが、死ぬときは手の中に十字架を持っていた。彼は最後までキリスト教徒だったと思う。ただ、祈る価値や偶像に寄り添う意義がないと思ったのかもしれない。

 

相変わらずまとわりのない文章だが、宗教問題はずっと昔から続いている。これからも続くだろう。だから忘れずにありたいと、考え続けたいと思う。

 

 

 

新年あけてから早くも振り返る

 今年が始まり、あけましておめでとうございます。

 実家で新年を過ごし、京都に戻ってから二週間ほど大学で過ごして、すぐさま試験機関に突入。

 と、その前にインフルエンザAにかかる。ちょうど三連休明けに火曜日に。インフルエンザだけでなく、気管支炎も合併するというなかなかの体調不良。

 で回復してその週から試験がスタート。前期は11教科ほどテストがあったけれど、工期は5教科という少なさ。教職概論はほどほどで来たと思うけど、ドイツ語はBとれるか不安なところ。教育心理学はほどほどに。仏教論は結構うまくいった。

 

 最終教科は明後日だが、それまでにバイトやら映画を見てだらだら。

 最近見た映画は三本。25日に見てきた。

『本能寺ホテル』

 綾瀬はるかはやっぱり天然役がいいと思う。信長さんはすごくかっこよかった。未来を知ったら私たちはどう動くのだろうか。自分に不利だとわかっていても逃げないのは、何のためか。未来と今がどう違うのか。大義のために動くのか、自分のために動くのか。きっと私は大義のためになんか動けない。でも、自分が歩んできた歴史に価値がある、と思いたい。

 三本中、これが一番良かった。

 

『天使にショパンの歌声を』

 この作品はイメージと違ったね。天使にラブソングを、みたいに歌で学校の閉鎖が亡くなったわけでもなければ、明確にこれというものが描かれていたわけでもない。マザーの過去も曖昧だし、双子のマルゴ?さんもなくなった。姪のお嬢さんは不良だけれど、ピアノコンクールで優勝。

 仏教を勉強していても思ったけれど、近年宗教は個人か、内面化している。ある意味世俗化をしているし、人と神を繋いでいた教会や僧団も世俗化しなければならなくなってきたといえる。

 また教養科目が軽視されているけれど、人生を豊かにするきっかけとしても大切なモノ。それは音楽だったり、芸術だったり。才能が明確に分かれるし、理解できるできないということもわかれる。そういったものはきっと大切な何かを含んでいて、理解するのが難しい。言葉で表す必要のないものでさえも、言葉で表すようになっている。何が自分にとって必要なのか見極めなければいけない。必要かどうかは損得の前じゃなく、もっと抽象的なことだと思うんだ。

 

『マギーズ・プラン』

 この作品は一番期待していたんだけど、あんまり好みじゃなかった。多分私が結婚や恋愛に対して夢を抱いているということなんだろうけど。結婚して子供を産んでしまったら愛は冷める?日本人のセックスレスの多さ、愛と恋の違うは?愛し続けることはそんなに難しいの?すごく男女の真実を描いていたと思う。やっぱりそれだったら、旦那じゃなくて子どもだけほしい、てね。でも日本じゃシングルマザーの貧困は社会問題。「逃げるは恥だが役に立つ」ってホント社会問題をうまく組み込んでいる恋愛漫画だよね。主人公が社会人だからかなぁ。

 ま、それは置いておいて最終的に幸せな家族というハッピーエンドだけれど、これを見て最後に思ったのは、「人間の本質なんてものはそうそう変わらない」「運命…?あるかもしれないけれど、あなたは受け身の人間にはなれない」かな。

 個人的には幼馴染の人がすごく好き。

 

 さて時系列はそれから二日進んだおとといのこと。最近delish kitchenというアプリを見てご飯を作っていまして。炊飯器で出来るミネストローネがおいしくて、再び作ってみたけれど、材料が多すぎて炊飯器が爆発した。…おとといのことです。私の炊飯器は三合分。しかしアプリの法は5合分なのかな。その通りに材料を入れると爆発します。はい。

 

〈before〉

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 残念なことはここからで、私が住んでいるマンションは白さが売りのマンションでした。壁紙は赤く染まり、白い椅子もまるで殺人現場にあったかのように、飛び散る赤。緑の絨毯は赤とコントラストを描きます。

…まあ敷金とかあるからさ、掃除しなくちゃいけないんだけどね、部屋が狭いからすべてが赤まみれ。白いカーテンを取り外し、絨毯を破棄。炊飯器を丸洗い。壁にひたすらセスキ炭酸ソーダ水を吹きかけ、椅子をウタマロ石鹸でごしごし洗って、風呂場で丸洗い。

1月27日は「家具・家電製品掃除デー」と私は定めました。

男女の愛は信用できなくても、セスキとウタマロは信用できる。

 

〈after〉

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うん、絨毯が無くなってシーエムで気になっていたクイックルワイパー…の「一発キャッチ!」の商品を購入して、そうぞを楽しんでいるけれど、あのシリーズってキャッチ力がそんなに長くないのが玉に瑕。

 

明後日は最終試験。勉強頑張ろう・・・・

 

 

 

何者

今日は「何者」を見てきました。就活に悩む現代の若者を描いた作品でしたが、すごく身近に感じました。

観察眼は鋭くありたいと思うし、語学ができたらいいなと思う。

他人と違うことを求められる時代で、他人に承認を求めている、他人ありきな自分がいる。

嫌われるより好かれたいと思い笑顔を作る。本音と反骨精神を織り交ぜた言葉はネット上に吐かれる。

インターネットの恐ろしさとか、匿名性とか、そういったこともあるけれど、

現代のSNSって承認する、たたく、批判する…

表現の自由、ということではなく、もう一つの私たちの世界で、でも実体性がなく、顔が見えなくて、偽りやすく、まるで無法地帯のよう。

 

私も将来就活するのだろうか、

自分の望む将来とはどのようなものだろうか、

他人と自分が全く違う、でも似たような属性で、ジャンルで、集団的に生きてきた。全く違うけど、似たり寄ったりで、表現するにはどうすればいいのだろう?

 

何になりたい。

何をしたい。

抽象的な言葉で形作るのではなく、夢を織り交ぜて絶望するのではなく。

経験と体験と目標で彩られた未来って、とっても堅実で、心にゆとりがない私が求めているものなのなのかな。それとも別があるのかな。

私の家計簿

 一人暮らしを始めて、はや10ヶ月。節約しよう、貯金しようと模索してさぼって考えて参向本を買ったりいろいろしてきましたが、どれも向いていない。

 まず分かったことは家計簿をつけても貯金にも節約にもならないということ。まぁ当たり前だよね、支出と収入しか書いていないし。これを踏まえたうえでどうするかが重要だよね…

 「1行家計簿 世界一簡単にお金がたまる本 by天野伴」の本ならいけるか…?と思ったけど、何かに特化させても全体がわからなくなってしまうのでやめた。

 今まで食費を細かく分けてやってきたけど、必要なら買うし、あんまり値段も気にしていなかった。金曜日の牛乳は208円。でも必要なら238円でも買っていたし。こういうところが節約のターゲットになるはず。

 でも必要なものを必要な時に勝っておかなければ困るのは私である。

 そこで12月から始めた私の家計簿は。

 とにかく出費や収入がおおざっぱでいいので記入。その際レシートは絶対にもらうこと。それで全体の支出がわかるし、あとどれくらいあるかわかるから。

 そして思わず買ってしまったスイーツ系や嗜好品…これらって買った時は衝動買いしていることが多いんだけど、まぁ後で後悔して、また甘いもの食べてしまった…となるわけです。

 家計簿とは別に、別の紙を用意。

 レシートを見て、衝動買いしてしまったもの、散財の項目をピックアップする。これは天野さんのを参考にしている。お野菜の相場とか書いておくと、今回はこの値段で買ったけど、前回のほうが安い!とかわかるし。

 項目を絞らないとあれじゃないか?というけれど、わたしは細かく分けすぎても管理が大変。数字と向き合って計算するのは変わらないから。それに私の節約ターゲットは大体わかるし。

 これで成功したらいいなぁ…

 電気代や水道代も。今のところ掃除用具がほしいです。

今日の出来事…

 今日は『ハンズ・オブ・ラブ』という映画を見てきました。レズビアンの警察官とエンジニアのレズビアンのお話。警察官の彼女は末期の癌にかかり、遺産をパートナーに残せるように、訴えるというものでした。実話を基にした短いドキュメンタリーみたいなもの。

 公務員とか特に、同性婚には反対する傾向…国の意向に沿っているからなのかな。彼女は同性婚を求めるのではなく、平等な権利を強く求めていました。変化を求めていました。

 余命がわずかな彼女は同性婚という制度改正まではできないことを悟っていたのか。せめてパートナーに遺産を残せるように。

 同情することっていけないことことなのか。同情を嫌う人もいる。でも、同情そのものに良いも悪いもないよね。

 同情っていうのは憐れむ、ていうイメージが強い。でも、わたしはもし同じシチュエーションになったら、どうありたいかと、その人に共感することのほうが強い。

 もしという話は馬鹿らしいと切り捨てる人もいる。でも過去のもしでもそこから学べることってないかな。未来のもしなら、価値のあるもしだと思う。

 

 

 ちょっとふわふわする思考で16,000歩、普段バスで言っている映画館を徒歩で行ってみて、帰路につきました。

 近所のスーパーで酔っぱらっている千鳥足の女性を見て、支えたら明らかに酔っ払いだった。大丈夫かこの人…タクシー拾っても買える場所がない雰囲気だし、どこに帰ろう…なんてぼやいているし、身内に電話して代わりに出たら、その女をどこかにやってくれといわれるし。しるか!マシンガントーク怖い。

「私はこの女性の知り合いじゃありません。とりあえず事故に合いそうなのでそちらに送りたいので家を教えてください!」と怒鳴ってしまった。

ぴたりと真贋トークをやめて、駅の名前だけ言ったので、底に送るようタクシーの運転手に頼んだけど、駅から帰れただろうかあの女性…すごく心配だ。

 

 

 あぁ。思考がまとまらない

11月の呪縛を最後で消した

11月は忙しかったです。

論文やレポートの課題が磁気的に重なり、とてもつらかったです。プレゼンテーションの練習やレジュメを作ったり、文献をあさったり。

とにかく忙しく、そして少し病んでいました。自覚しています。

 

数日前、誕生日を迎えました。

前日に母がサプライズでこちらに来て、とてもうれしかったです。論文が終わらないってヒーヒー言っていたのをすっかりと忘れて、母が来てから30分で完成させた。

母の久々の美味しい料理をお腹いっぱい食べて、あぁ人のぬくもりが不足していたな、肌に触れられて、思いっきり甘えられる存在ってとても重要だと再認識しました。

 

翌日にメアリーカサット展に行ったり、聖護院や熊野神社などの御朱印をめぐる。

母は寺や神社巡りには興味はないけれど、紅葉を見ようと龍安寺仁和寺にも足を運んだ。

クジャクは毒に耐性があるため、聖獣という扱いだったことは知らなかった。

論文では異性愛主義の批判をテーマに描いていたため、最近そういった話題や事物に敏感。メアリーカサットの画は素敵だった。子供の無垢さを表現している。

どこの世界でも同じなのか、子供は無垢でいてほしい、無性的な存在だととらえている節があるようだ。なんだか成長することがいけないことのように思えてしまう。

成長するということは、何かを失うことらしい。…無垢さや純粋、それ以外に私はなにを失っているのだろう。

 

昨日母が帰ってしまって、また静かで寂し部屋に逆戻り。

今更ながらに思うけど、朝、母に起こされることが煩わしくて仕方がなかった。母だって寝ていたかっただろうに、起きて、お弁当をしたくして、ぐずる私をたたき起こす。

母と同じ部屋で寝起きして、朝ご飯を作ってくれて、起こされる。

とても幸せだと感じた。

 

そして今日は一人で映画に行ってきた。

今日見てきたものは

『ファンタスティックビースト』『僕の妻と結婚してください』の二本。

前者は俳優さんがイケメンだった。エディ・レッドメインというらしい。

主人公ニュートという役。スキャマンダーの姓を持つ彼だが、ハリポタでスキャマンダーという姓は出てきただろうか。全く覚えていない。

魅力的な魔法動物たちに心を躍らせ、ヘタレで勇敢でかっこいいニュートにくぎ付け!

マルグ、ノーマジたるジェイコブは結構お気に入り。

なんだか二人の関係がシャーロックホームズを沸騰させる。個人的にそう思いました。はい。

 

後者は、まあ主人公が死ぬから、妻になにか残せるように夫を探そう…あらすじは知っていたから、どうだろうかと思っていたが、

もう頭が痛い、目が痛い、花が痛いし、水分をくれという状態。

家族、結婚を肯定的にみている反面、家族というものをもう一度考えることに。

家族を定義づけるとき、子供の存在は割と大きい。フランスでは結婚していなくても子供を産むけど、日本はできちゃった婚は認めていない節がある。いや、子供がいるけど責任を取っていない形、といった方が正しいのかな。

子供をどのようにとらえているか、近代社会の問題だよね。

 

アクアタイムズだったかな…歌詞で「悲しいことが善いこととされる…」みたいな。悲しいこと、不幸なことを私たちは娯楽としてとらえている節がある、ということも思った。不幸を娯楽として消費している、いや悪いとは言わないけど、映画だし。

 

 

とりあえず、晩御飯は…どうしようか。

ゆずの香りの入浴剤をぶち込んで、11月の締めをすることには変わらない!