アイデンティティを模索している

自分の知識を整理して発展させられたらいいなぁという願望の元スタート。学ぶことで私のアイデンティティは確立されるのか。くだらないこともうだうだと。

「ラ・ラ・ランド」「破門」「ドクター・ストレンジ」「恋妻家宮本」感想 を理由にしている。

もう少しで私の実家過ごしが終わる…明後日八時半の便で飛び立つため、五時半が予想される。そしてその三日後にレジュメを提出しなければならない。何が言いたいかというと、それらが全く終わっていない。

何度も後回しにして、後悔して、それでも繰り返すことを見ると、懲りていない。重要視していない。徹夜を別に厭っているわけではない、などなどという理由が上がってくる。つまり、また何もやっていない、後回しする自分に自己嫌悪を抱くのは飽きた、というか、自己嫌悪する暇があるなら、刹那的に行こうかという吹っ切れでもある。

 

しかし大学生になると、独り暮らしをして、パソコン三昧になるかなぁと思ったが、そうでもない。なぜなら大学生はレポート乱文三昧だから、パソコンを開くことが苦手な行為という認識に変化し、パソコンを立ち上げることすらしなくなる。それに代わって、手軽で便利で立ち上げに時間のかからず、指一本で好きなことをできるスマホの便利なこと。スマホ依存症ともいえる。

話が変わるが、『居場所の社会学』という本では、携帯電話で時間をつぶすことで、居心地の悪い空間から他者を排除し、スティグマ化になる度合いが減るそうだ。一人暮らしをして寂しさについついスマホに手が伸びてしまうのはそういう事。別に正当化しているわけではない。

 

ここまででわかるように私は、エンジンがかかるのが遅い。スイッチの切り替わるのが遅い。とにかく遅い。遅すぎる。

つまりレジュメを切るために充電し、ようやく立ち上げたパソコンを前にしてもまだやる気が起きない。いや、指が動いてくれないので、最近見た映画の感想をまとめて、準備体操をすることが、今回の目的である。

母には容量は悪いが、一つ一つ丁寧にやるタイプといわれる私。つまり準備体操でもいつの間にかエンジンがかかり、丁寧に、否、レジュメよりもやる気を出して書き上げるだろう、おそらく。

 

「ラ・ラ・ランド」は私の高校の時の恩師と見に行きました。

恋愛ものだと思っていたが、まさかの悲恋物に驚き。ミュージカルを映画館で見るのは初めてのことだったので、とても圧倒されました。登場人物のドレスがカラフルで、見てて楽しいし、私はダンスを見るのは結構大好きなのかも。フラッシュボブとかyoutubeで見るの好きだもの。

最近何でも漫画家実写化映画化されている。主に少女漫画。勉学より間の恋だの叫んでいるから、生身の人間がやるとさらに見るに堪えないというのが私の本音である。そんな中、この作品は自分の夢と愛を天秤にかけ、夢を両者勝ち取った。夢を勝ち取ったからこそ、二人でいたら…なんて愛に目を向ける猶予を持つけれど、「今」で得たパートナーが一番理解があるんでしょうね。「過去」から経験を得て、「今」があるから、これからを考えていけるんだろうと思いました。

ifなんて価値がない、よく聞くけれど、本当の意味を理解しなくちゃいけませんよね。

 

「破門 ふたりのヤクビョーガミ」

この作品は結構期待していたんだけど、そんなに面白くなかったかな。以前「やくざと憲法」というドキュメンタリーを見たんだけど、やくざ内の力関係というのは私たちには理解が少し大変かもしれない。仁義という言葉はいまどれくらいの人が重みをもって言えるだろうか?やくざはいま現代社会でとても生きにくくなっている。多様化してきた社会の中で、異物を排除する傾向はあるが、彼らは昔からこの日本にいた。古き良き時代は終え、害悪という形で人々の目に映るようになったその過程が物悲しい。

この作品はやくざと一般の仲介みたいな役をする横山さん主演…名前忘れたけど、堅気とやくざをうろうろするのよね。その空気に触れていると、自分もその一員かの如く口を出してしまうことがよくある。けれど、明確な覚悟や想いがないからこそ、踏み込める場所を見極めなければいけないと改めて思ったかな。

主人公の彼は、臆病で、無気力で、金にがめつくて、貧乏でやる気なし。最後は彼が自分の意志でやくざに近づくところが見どころなのかな。

 

ドクター・ストレンジ」は、主演の…俳優の名前を私はめったに覚えていないのですが、「シャーロック」を主演した人だということはわかった。

腕がいい医者が、その腕を失い、魔法の世界へ飛び込んでいく…みたいなね。ストーリーは、ううううううううん。雑?かな。現代社会に魔法ぶち込んできたなぁとは思った。一番目を引かれたのはCGだね。魔方陣かっこいい。幾何学模様を組み合わせたあの美しさを文章にできたらどんなにいいか。

趣味でファンタジック系を書いているけれど、なんだかはかどらない。読み返しても、なんだか痛々しい。大学で現代社会系にたくさん触れたからか、ファンタジックな趣味が少し変わってきたのかな、と思います。完成はさせたいけどね…

 

今回最も押すのが、「恋妻家宮本」

でき婚で結婚した50歳夫婦。その息子が一人立ちし、初めて二人っきりになった夫婦生活。主人公は国語の中学教師。教師を目指す私には、すこし感動したところがありました。

母親が不倫をした子供。クラスではお調子者として存在しているけれど、「お調子者」という「キャラ付け」が存在しており、若者論を反映させているなぁと思った。熱血教師の影は薄らぎ、また一匹狼のような生徒もだんだん現代日本からは少なくなってきました。それは世代間のギャップが少なくなり、子供と大人の認識、理解のギャップがあまりなくなったということ。子どもは大人に対して反抗心を覚えなくなった。

親子の距離は近づき、子どもは親と友達感覚のように接する過程が増えているらしい。タテの関係は薄らぎ、ヨコの関係となっていた。それは教師も同じで、威圧、威厳のある教師はいなくなり、友好的な教師が増えてきた。優しくて寄り添ってくれるような教師。私もそんな教師になりたいな…と思っていたけど、教師、大人という存在意義を考えたとき、それはどうも、違うのかもしれないと思うようになりました。

 

現代日本で生き、働く人たちに読んでほしい本・土井隆義の「つながりを煽られる子どもたち」

 

自己肯定、承認欲求。それらを私たちは求めている。帰属意識が薄らいで、不安定な社会に生きているから。そんな承認を私たちはSNSで満たそうと躍起になっている。

教師も親も、子どもにとって、子どものすべての承認を満たしてくれるような絶対的な存在ではなくなった。…のようなことを書かれていて、私は衝撃を受けました。プロフェッショナルよりも、大衆、数の力が信頼される時代。民主主義と言えばそうかもしれないけど、専門家が信じられないって…

それもそのはず。友人のすべてを信頼できますか。同じくらいの友人の発言をすべて受け入れますか。子どもの発言を鵜呑みにする大人がいますか。

だけど今は大人と子供の距離、境界線が曖昧だ。長引くモラトリアム期の影響もあるかもしれないけれど。

ある意味対等な関係になった人たちに承認、自己肯定されること。

威厳のある人に、自分が信頼して、尊敬する人に承認、自己肯定されること。

圧倒的に後者の方が自分にとって、子どもにとって満たされるはず。しかし近年後者のような人間を探すのも困難だし、子どもにとって一番身近な人間がヨコの関係へと変わってきているのだ。

増加し続ける教師の仕事は、ここらへん…つまり親子関係、親が本来取り仕切る分野を学校に丸投げしているところがあるのかもしれない。仕事が増える教師は一人一人の生徒を見ることは難しい。家族の中に足を踏み入れるようなところでもある。そんなことやってらんないよ、難しいよ。

私は…信頼される教師になりたい。確かに生徒に慕われるのはうれしいけど、それよりも子供の成長を助けられる、威厳のある、承認を十分に与えられる教師になりたい、とおもう。

 

教育的分野で話を発展させすぎたけど、現代社会で生きるのは夫婦も同じ。大人同士だって承認求めている。お互いと向き合う時間、本音をさらけ出すのがどうして恥ずかしいのか、それでも必要な時間なんだといえる空気が大切、かな。

 

長くなったが、ここまで!

私が今年からやるのは若者論や福祉分野。ジェンダーももちろんやりたかったけど、ジェンダーの新しい認識はやっぱり子供からだし、やって損はない。

土井さんの本をもとにレジュメのベースを作り、新自由主義などの細かなところを埋めていこう。