大学生(休学中)の留学記録、、、かもしれない

タイピングをしたくなった時に、感情のはけ口になるブログ

#ここがズレてる健常者!

題名のとおり、夜中おもむろにテレビをつけたらこの番組がやっていて観ていました。ここで思い出したのが『車椅子の少年』かな。

 

日本って「困っている人がいたら助けましょう」というフレーズが昔から聞き続けて染み付いているけど、最近はこれらの行動が極端になっている気がする。

たとえば、無関心、あるいは手伝わない人。

スマホに夢中、イヤホンをつけている・・・など、公共の場においても個人の空間をがっちり固めて周りに無関心、あるいは目を向けてないことって良くないかなぁ。私もイヤホンつけたらぱったり目を閉じてしまって、周りを全く見ないんだよね。だから相手が杖を持ってることやヘルプマークに気が付かない人が多いんじゃないかな。

それから拒絶されることを怖がる人。お年寄りとかに席を譲ったら余計な気遣いだと拒否された、なんてことたまにある。お年寄りだろうとなんだろうと、辛いだろう大変だろうという目線で見られると「自分はできるのに・・・」「困っていないのに・・・」という気持ちになって断る場合ってある。一度拒否されると私たちって次へ挑戦を極端に恐れる傾向に最近はあるのではないかと思う。

インターネットの発達で人と繋がりやすくなった反面、とても希薄なものだからとても繊細な関係と言える。拒否されることをすると、あっという間にその関係が壊れてしまうと思っているし、現代のいじめのあり方などを見てもそうなり得てしまう。同調圧力が強く働く関係であるが故に、イレギュラーな行動を起こさない。関係に安心や信頼がないから。

これって電車の痴漢とかにも言えると思うだよね。日本って痴漢されている人がいたら無視してしまう、助けないということが良くあるらしい。(生憎そんなに満員電車に乗るという経験も痴漢されたという経験もないので推測に過ぎないが)

 

(話は変わるが、痴漢は男がするもの、漢から男性主体性を感じる。痴女に対する言葉は?無性的な性の言葉ってないのかなぁ・・・言葉から行動を起こす主体性が描かれるわけだが、それに対する客体がいたり、考慮されていないことが多い。日本は含まれる今が豊富であるから特にそれらの強い印象を受けるし、日常的に再生産されやすいように思う。)

 

話を戻すが、後者においては気遣いをなにか勘違いしているケース。

「やってあげた」というのは特に癇に障るだろう。私も日常的に恩義がましく言われると「いや、頼んでないし」となる。誰でも一緒だよねぇ。

「助けよう」「助けたい」っていう気持ちは大切だよ、紛れもなく。

でもなんか違うんだよなぁ。これだっ!ていう答えは明示できないけれど、

おそらく出来ることを「出来ない」ことを前提に行動するのが、見下し感を感じたりする。

難しいね。

 

本当に助けてもらいたい人もいる。手を貸してほしい、気を使ってほしいと思う人ももちろんいる。多分一人ひとり答えが違うし、それが当たり前。どんな行動を自分が好ましく思い、不快に感じるか。これは葛藤を通じなければ得られないものだろう。しかし私達は葛藤を避けてしまうから、人と直接的にかかわらなくなっているから、「ズレている」行動に繋がるのだろう。

日本はマイノリティに優しくない。LGBTとか障がい者とか。身体や性の問題について、日本はそれを私的問題に還元しがちであり、公的馬で話すことではない、という風潮があるよね。最近はLGBTとか性の多様性に目を向けられるようになってきたけど、それは本人達が声を上げるようになったからということが大きな要因だと思う。

 

この番組を見て一番いいなぁと思ったことが、当事者が声に出して主張していること。私たちってその時嫌なことがあっても、黙り込んで衝突、つまり葛藤を回避する。それを無駄なエネルギーと見なしたり、面倒、恐怖、色々あるけれど。あれだ、『日本人のための怒り方』とか読み返したい。

「怒る」=「相手を攻撃する」みたいなイメージが強すぎて、相手に何かを伝えることを得意としていない?のかな現代の人は。discussionを身につけるために授業とかで取り入れるほど日常的には馴染みがない?

批判することと怒りをぶつけることはまた違うのね。怒るということは自分の不快感を相手に伝え、相手とそれについて葛藤を得られるチャンスの始まりなのかな。

まぁ、当事者がその場ではなくても、声に出して意見を言うってすごく大切だと思うし、重要だ思うんだ。だって相手の意見を知れば私たちの考えも行動も変わるから。

 

印象的だったのは子供が車椅子の座っている人の目の前でそれに触れた時、どのような対応をする?という千原ジュニアの「わからないから、お前が知りないなら聞け!」

 

私達は圧倒的に知識が無いから、やっぱり当事者に聞いた方が正確な知識を持てる。インターネットに頼りがちだし、メディアリテラシーが必要とか叫ばれる時代だけど、インタビューとか自分で堂々としてみるのも大切だね。このとき触れてほしくない日では拒否するし、私達はここでそれに近づくのをやめてはいけないのだろう。

あー、言うは易し、行うは難しってね。

 

この番組のダメなところは?と言われたら放送時間。いや深夜2時ってほとんどの人寝てるから!すごくいいテーマなのに!次回は18日の22時らしい。うーん、どの時間が一番ベストかわからないけれど。まぁ深夜よりはいいかな。

 

友達が障がい者の性サービスについて論文を書いていたことを思い出した。まず、性サービスという規制や偏見、デリケートさなどディープな問題に衝突する。

それから『幸福は日々の中にある』っていう鹿児島県の似たようなテーマのドキュメンタリー!観たかったなぁ。1800円って高い。学生に優しくないよね日本、ドイツを見習って。

障がい者はよく感動ポルノの供給者になされてしまうことがある。生まれ持ったものに、慣れ親しんできたものに不便を感じる人は少ないが、私達は持っているからこそその不便さを知り、勝手に、暴力的に、「すごい」と思うのだ。

 

明日にウィーンに旅行に行くから、第三回目が放送されるのはまだまだ先であってほしい。